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- 2011.11.15 Tuesday
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人生の半分は今日で終わりです。
急ピッチ!!
入学式初日からクラスに入るとあんまり良い雰囲気ではなく、
誰が1番かを気迫だけで競り合うような状況でした。
そんな中、初日から遅刻したF君。
「あいつ、やばい」みたいな状況。
今思えば、若いなぁとただただ思うわけです。
よく通えていたねと自分でも感心します。
周りに男子校と良くいがみ合ってた。
もっと別な事に時間を使えば良かったのに、自分の存在を主張するかのような毎日。
必死だったんでしょうね。多分。
入学当初は派閥みたいなのがありましたが、
みんな仲良くなるまでにそんなに時間はかからなかった。
同じ事を共有して、同じモノを好きになって、
なんか同じ時間を共有して行く中で、
凄く大切な事を学べた時期でした。
彼らは今でも良く遊びます。
ひどい時は20人くらいで旅行に行きます。
3年前くらいはしょっちゅう行ってました。
そんな大切な人に出会えて、
人と向き合う事を教わったのが、
高校生活でした。
もっと初めての学園祭の事とか色々書こうと思ったけど、
それはやめときます。
学生生活で一番好きな時期です。
さて、高校時代。
今、29だから一回り前か、と思うとなんだか不思議な気持ちになる。
前回までと同じ密度で書こうとすると、とんでもなく長くなりそう。
だが・・・書く。
読みたい人と言う奇特な方は「続きを読む」をクリックして下さい。
はい。水曜日です。渡辺です。
梅雨ですねー。イヤですねー。
毎朝が戦い。なんせクセッ毛なもんでして。
そうそう。
先日飛行機を間近で見てきました。飛行機かっこいい!
で、ですね。高校時代の話し。
月曜バスケ。
火曜バスケ。
水曜バスケ。
とはいきません。
高校では当然のようにバスケ部には入部せず、軽音部へ。
正直高校時代の思い出ってほとんどなくって。
部活とバイトとライブと・・・ほんとこんくらいしか印象に残ってない。
今も仲良くしている友人は高校時代の友人で、
あの高校に行って良かったなって思えるのは、この人たちに出会ったことくらいかな。
でもそれって凄い重要で、なんなら1番大切なこと。
そう考えると、あの高校に通ってよかったなー。
その中でも1番仲良くしてる親友とは同じクラスに一度も一緒になったことないのに
ずーーーっと一緒に遊んでる。
夏休みの部活。
うちのバンドメンバー4人のはずなのに、ほとんど2人で過ごしたり。
馬鹿なことして笑ったり、マニアックなことをしてみたり。
人間観察しては報告しあったり、モノマネしたり。
あれ。意外と楽しかった思い出が蘇ってきた!
あと印象深いのは、非常勤の男性職員とうちの女子生徒が交際してると噂が出て
テレビドラマのようにホテルに入っていくところを写真に撮られ
その写真が朝、職員室の前の掲示板に張り出されてたという。
女子高らしいエピソード。
こんなところでしょうかねー。
あー懐かしいなぁ。
3週に渡って書いてきた学生時代シリーズもこれでおしまい。
最後、あまり締まりのない学生生活を送ってたので
書くネタ(書けるネタ)が少なかったですが。
来週からもまた違うテーマでいそいそ書きます。
また覗いてくださいねー。
そして廃校の方も着々と進んでます。
まだ発表しませんが。
ふと、発表していくのでHPも毎日チェックしてみてくださいね。
http://www.748honpo.com/
オガサワラです。
5人の中でそろそろ暗いキャラが定着してきた感もありますが。
中学生の思い出。
中学1年生。
親父の気まぐれでフォークギターを手にする。
幼少の頃、ピアノをやっていたこともあり、楽器なんてものは叩けば音が出ると思っていた。
しかし、ギターは違った。ちゃんと弦を押さえないと音が鳴らない。
あまりの指の痛さに、3日で挫折。
引き続き、中学生活も低迷が続く・・・。
・・・かに見えた中学2年生。
同じクラスの田中くん(今でも友達。通称タナキュー)と音楽話で盛り上がる。
当時の僕は、STEVIE WONDERなんかを愛聴する、中身だけはませたガキだったが、
タナキューとの出会いで、とある音楽に目覚めることになる。
"HARD ROCK"そして"HEAVY METAL"である。
まずは手始めにBON JOVIの"Slippery When Wet"を聴かされる。
(Mariah Careyと貸し合い。)
・・・あんまりピンと来ない。
しかし、タイミングのいいことに、その年の6月、BON JOVIは来日したのである。
(正確に言うと、VoのJon Bon Joviと、GのRitchie Samboraのみであるが。)
そのライブはBSで放送され、それを見た僕は、無性に音楽をやりたくなってしまったのである。
そう、ほこりをかぶっていたフォークギターを取り出した。
唯一押さえられたEmのコードを鳴らす・・・。
・・・違う!
俺が求めているのは、心震わせるようなディストーションギターだ!!、と思い、
親に頼み込んでIbanezの24フレットもある青いエレキギターを買ってもらう。
家に帰って、これで俺もRitchieだ、とストロークした瞬間。
・・・・・・違う!
そう、当時の僕はエフェクターの存在を知らなかったのである。
その後、前述のタナキューとのやり取りを通じて、
アンプ本体で若干の歪みを作れるようになり、とりあえずはそれに満足して日々練習に励んでいた。
14歳。多感な時期である。
自我の目覚め始めた先鋭的な中学生達(要はマセガキ)は、ドッヂボールを
ギターに、ベースに、あるいはスティックに持ち変える。
(もしくは、鉛筆を煙草に持ち変える。)
学年のイケメンどもが、次々にギターを手に取り始めた。
そんな状況下、「オガサワラ、ギターやってるんやって?」
と言う話題があがるまでに、長い時間はかからなかった。
これまで、話す機会もなかったいわゆる「人気者達」と音楽の話なら出来るようになったのである!
昼休み、ギタリスト誰が好き?とか、Vandenberg(オランダのメタルバンド)の曲って
全曲半音下げやから、コピー難しいで、とかそんな話で盛り上がれるのである!!
これは、今までには考えられなかった変化だった。
少し話は飛ぶが、僕の初めてのライブは、音楽室。
音楽の授業で「なんでもいいから音楽で発表しなさい」と言う宿題に対して、
僕らは、ボーカル、ドラムのいないバンドを組んだ。
ギター1→オレ
ギター2→タナキュー(髪サラサラで人気者)
ベース→ヒワタシ(美少年で人気者)
コピーした曲はHELLOWEENの"Where The Rain Grows"だったろうか。
youtube等で見てもらえれば分かると思うが、その曲はドラムなしで成立する曲じゃない。
でも、僕は学校にギターを持ってくること(目立つ)、
ギターを人前で弾くこと、その行為自体に完全に酔っていた。
ひどい演奏であっても、そんなことどうでもよかった。
一通り(ひどい)演奏を終えて、クラスメイトから大きな拍手をもらった。
「あー、これなんて気持ちいいんだろう!」
これが感想である。
テストで100点取るよりも、音楽を演奏して人に拍手を貰えるほうが何百倍も達成感があった。
今にして思えば、僕が今も音楽をしている、ステージに立っている、
その原体験は間違いなくここにある。
まさに「題名のない文化祭」でそんな原体験を再度味わえるのではなかろうか!
中学3年の卒業式の後。
みんなで企画して、小さな会場を借りてライブをした。
BON JOVIの"I'll Be There For You", "Livin' on a Prayer",
Eaglesの"Love Will Keep Us Alive", MR. BIGの"To Be With You"辺りを
やったんだと思う。
"I'll Be There For You"は僕がVoをとった。その時、眼の前の女子(美少女)が、
「オガサワラが歌うん?」とボソッと呟き、表情を曇らせた。
僕は、「てめー今に見とけ」と言う気持ちで歌った。
・・・分かってはいたが、結局は、そういう扱いだったのである。
そこから先はあまり覚えていない。Black Sabbathをコピーするガールズバンドや、
Ozzy Osbourneを中学生にしてほぼ完コピする化け物のようなギタリストや、
同じ学年にはそんな奴らがうようよといた。どこか気後れする感じは否めなかった。
それから、僕は進学校に進んだ。
僕の中学校からは、僕を含めて約10人がその高校へ進学した。
高校進学。ほとんどが初めて会う人間ばかり。
ここで全てを変えたかった。
過去の自分と決別する、これが最後のチャンス。そう思っていた。
一般的に、「青春」と言えば高校時代を指すのではなかろうか。
結果として、僕は青春を謳歌することが出来た。
それは高校生活が素晴らしく楽しかったことによるのだが、その辺りはまた次回。
長くなりそうだ。
乞うご期待。
※上記内容は、筆者のおぼろげな記憶に基づいて書いているものであり、
事実と齟齬がある場合もあるかもしれません。